ベートーヴェンの肖像画はなぜ有名?音楽室の定番となった肖像画の秘密

アートを学ぶ

2025年12月15日

ジョセフ・カール・シュティーラー 「ミサ・ソレムニスを作曲中のベートーヴェンの肖像画」 (1820)

ヨーゼフ・カール・シュティーラー
「ミサ・ソレムニスを作曲中のベートーヴェンの肖像画」 (1820)

赤いスカーフを巻き、楽譜を手にしたベートーヴェンの姿は、日本の音楽室の定番として広く知られています。その原点となったのが1820年に宮廷画家ヨーゼフ・カール・シュティーラーによって描かれた肖像画です。制作過程には意外なエピソードが隠されています。

制作の背景とエピソード

宮廷画家シュティーラーとの出会い

この肖像画を描いたヨーゼフ・カール・シュティーラーは、19世紀に活躍したドイツの肖像画家です。ゲーテやフンボルトなど著名人の肖像を数多く手がけた人気画家で、1820年からバイエルン王国の宮廷画家を務めていました。

ベートーヴェンとの接点はブレンターノ夫妻の存在が大きいとされています。夫妻はベートーヴェンのパトロンであり、シュティーラーとも交流がありました。肖像画はこの夫妻の依頼によって描かれたと伝えられています。

モデル嫌いのベートーヴェン

当時、ベートーヴェンは難聴が進み、社交の場に出ることを嫌っていましたが、パトロンであるブレンターノ夫妻の依頼であったため、肖像画制作に協力したと考えられています。

肖像画の制作は一筋縄ではいきませんでした。ベートーヴェンはじっと座っていることを嫌い、肖像画のために3回だけモデルとして椅子に座ったと記録されています。顔は本人を直接モデルにして描かれましたが、手やポーズの一部は別のモデルを使って仕上げられたという逸話があります。

楽譜に記された「Missa Solemnis」

ベートーヴェンが手にしている楽譜には「Missa Solemnis」と記されています。「Missa Solemnis」は、ベートーヴェンが1819年から1823年にかけて作曲した大規模な宗教音楽作品で、当初は大公ルドルフの大司教就任式に献呈するために構想されました。しかし完成は式典に間に合わず、後にベートーヴェン最後の宗教音楽として現在も演奏されています。

ベートーヴェンの肖像画が広まった理由

複製の多さ

シュティーラーが描いた「ミサ・ソレムニスを作曲中のベートーヴェンの肖像」は、1820年以降に何度も複製され、版画や印刷物として広く流通しました。その結果、世界中で「ベートーヴェンといえばこの顔」というイメージが定着しました。

教育現場での定着

昭和期、日本の学校音楽室にベートーヴェンやバッハ、モーツァルトといった音楽家の肖像画が飾られるようになったのは、楽器販売会社が配布した「音楽家の肖像画入りカレンダー」がきっかけでした。教師がカレンダーから切り取って壁に貼り、やがて文部省の教材基準にも組み込まれたことで、全国の音楽室に広がりました。特にシュティーラーによる1820年のベートーヴェン肖像は「音楽室の顔」として定着し、子どもたちが最初に思い浮かべる音楽家像となりました。

芸術家の精神性を映す肖像

ヨーゼフ・カール・シュティーラーが描いた1820年のベートーヴェン肖像画は、赤いスカーフと楽譜を手にした姿で「苦悩する天才」のイメージを広めました。制作過程にはユニークなエピソードがあり、音楽室の定番として親しまれてきたこの一枚は、今もベートーヴェン像の原点として語り継がれています。

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