日本近代美術の代表作として知られる岸田劉生「麗子微笑」(1921)。おかっぱ頭の少女が静かに微笑むこの肖像画には、作者である岸田劉生の芸術観や当時の時代背景、そして娘・麗子との関わりが反映されています。今回はこの名画にまつわるエピソードを5つの視点から解説します。
岸田劉生とは
岸田劉生(きしだ りゅうせい、1891–1929)は、大正から昭和初期にかけて活躍した日本の近代洋画家です。初期はポスト印象派(セザンヌなど)の影響を受け、次第に北方ルネサンスのデューラーや東洋美術に傾倒し、独自の写実表現を確立しました。岸田劉生はわずか38歳で亡くなりましたが、日本近代美術を代表する作品を残し後世に大きな影響を与えました。

自画像 引用:Wikipedia
■岸田劉生の特徴
内なる美
岸田劉生は写実を通じて対象の外見だけでなく、その本質や内面の神秘性を表現しようとしました。単なる外見の再現にとどまらず、対象の存在そのものを深く描き出すことを目指していたのです。
卑近美
卑近美(ひきんび)とは岸田劉生が東洋美術に見出した「身近で素朴なものの中に潜む深い美」を指す概念です。中国古典絵画や初期浮世絵に強く惹かれ、それらに共通する写実的表現を卑近美という言葉で表現しました。
デロリ
岸田劉生は初期肉筆浮世絵に見られる濃密で生々しい表現に強く惹かれました。彼はその独特の迫力や不気味さ、対象の存在感を「デロリ」と名付け自らの作品に取り込みました。
「麗子微笑」にまつわるエピソード

岸田劉生 「麗子微笑」 (1921)
その1:モデルは実の娘・麗子
「麗子微笑」のモデルとなったのは、岸田劉生の実の娘・麗子です。麗子像シリーズが始まったのは麗子が4歳頃で、長時間じっと座り続けるのは大変なことでした。それでも父の期待に応えようと忍耐強くモデルを務めたことが数十点に及ぶ「麗子像」シリーズの完成につながりました。
その2:麗子像は“連作”の中のひとつ
「麗子微笑」は単独の作品ではなく、岸田劉生が1918年から1923年にかけて描いた麗子像の中の一枚です。現存する作品はおよそ50作前後とされ、制作点数は70点近くに及ぶとも言われています。「麗子微笑」はその中でも最も象徴的な作品であり、麗子像の頂点として位置づけられています。
その3:背景の「黒」は絵の具の限界との闘い
《麗子微笑》は、レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》に触発されて制作された作品です。劉生は「卑近美」や「でろり」といった独自の美学を重ね合わせることで、麗子の表情にモナ・リザのような不可思議さと存在感を与えました。
その4:絵のサイズは意外と小さい
「麗子微笑」はその存在感から大作のように思われがちですが、実際のサイズは縦44.2×横36.4cmほどと一般的な肖像画よりも小さく、家庭的な距離感で描かれた作品とも言えます。小さな画面に凝縮された密度が観る者に強烈な印象を与える理由のひとつかもしれません。
麗子像が示す、芸術と家族の結びつき
「麗子微笑」は岸田劉生が実の娘・麗子を描いた作品です。11年間にわたり制作された麗子像シリーズは、父としてのまなざしと画家としての探求心が重なった結果であり、その集大成として「麗子微笑」は日本近代美術を代表する肖像画の一つに位置づけられています。
