
美術ヒストリー
ルネサンス
紀元300年代になるとローマ帝国内における最大勢力となったキリスト教は、集会の場所に課題がありました。それは「パシリカ」と呼ばれる集会所にあった装飾性について、神の家に彫像を置くことはあってはならないものだったからです。そして6世紀末のローマ教皇グレゴリウス1世は「文字が読めない者にとって絵画は大いに有意義なものである」と推奨しました。当時、教会の図像について反対する声もあったため、教皇の発言は大きな意味を持ちましたが、次第に容認されやすい美術が残っていく方向となったのです。それがよく表れているのが「パンと魚の奇跡」という絵画作品です。ギリシャやローマに見られた躍動感はなくなり、キリストが正面を向いてパンと魚を分け与えようとしたその姿は、素朴でありながら静謐な世界を創り出しているのです。
マニエリスム
16世紀前半、この頃になるとイタリアの美術商は絵画にこれ以上はなく、完成したと考える者も多くいました。ミケランジェロの画風を真似る画風(マニエラ)ばかりが流行したため、この時期の芸術について後の批評家は「マニエリスム(マンネリズム)」と呼び、再評価されたのは20世紀に入ってからと随分と年月がかかりました。では当時の芸術家が劣っていたかというと、必ずしもそうではなく、ルネサンスの巨匠を超える新たな試みを沢山しています。そして、この時代の寵児こそ彫刻家で金細工師のチェッリーニです。1543年にフランソワ1世(仏)の為に作った「金の塩入れ」が代表作の一つであり、大地神と海神をあしらった遊び心のある新たな趣向は、過去の時代には存在しません。この時代の芸術家達が、いかに面白く新しい作品を生み出そうか考えていたという点において、自然の美しさとは異なる効果を模索した時代ともいえます。
バロック
「バロック」という言葉は本来「馬鹿げた」という意味を含んでおり、16世紀後半の新しい美術が古典様式とは異なる動きを見せるにつれて、それを嘆いた当時の批評家達が17世紀に入ってから使い始めた言葉です。現代に生きる私たちが想像する以上に激しい対立が当時あったのです。例えば、1575年に誕生した「イル・ジェズ聖堂」に見られるファサード部分は、古典主義から逆らうことなく統合され、それはギリシャやローマ、ルネサンスからも逸脱しているのです。また絵画の世界でもマニエリスムから逸脱していきます。最も大きな特徴は光の描き方です。人物にスポットライトが当たったかのように明暗がはっきりとしており、それまでの単調な構図や調和を避ける傾向がハッキリとしていくのです。
ロココ様式
ロココの特徴はなんとも優美な色彩と細やかな装飾性です。これによりバロックに見られたダイナミズムから、軽やかで明るい表現へと移行していきます。この時代を代表する画家がアントワーヌ・ヴィトーです。まるでおとぎ話の世界のような陽気な場面を完璧に描いています。しかし、ヴィトー特有の生命の美しさと共に哀感を覚えてしまうのは、技術だけでなく美の儚さを知っていたからでしょう。この時代においてヴィトーの表現はあまりにも早く、時代がなかなか追いつきませんでした。ヴィトーの後にロココが生まれたと言っても過言ではないでしょう。さまざまな想像を掻き立ててくれる作品を描いたことにより、後から続く芸術家が大いに触発されたのは間違いありません。また絵画の主題に恋模様を描くことが増え、甘美な世界が華開いた時代とも言えるでしょう。